· 

「おおみたから」

霜寒の候 皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

今日は「おおみたから」についてお話させていただきます。

漢字で表記すると「公民」となります、今では「参政権」特に「選挙権」「被選挙権」を持つ市民の事を指すそうですね。

 

 

「公民」という言葉が生まれたのは「大化の改新」がきっかけなんです。

大化の改新で大切な出来事のひとつに日本国最初の元号、「大化」が制定された事があげられます。

 

元号というものは暦であるとともに、宗主国のものでもあります。

当時、中国の冊封体制下に入っていた国は中国皇帝が決めた元号を使っており、日本も「大化元年」迄は中国の元号を用いていました。

 

つまり「大化の改新」は、日本が中国の冊封体制から離れて日本国独自の文明社会を築こうとする大改革なんですね。

 

 

「大化の改新」を行った中大兄皇子こと天智天皇は「天皇」を直接統治を行う権力者ではなく、施政者に政治権力を授ける「権威」と位置づけたのです。

そして民衆を天皇の民である「おおみたから」とし、施政者を「大切な天皇の民をお預かりする責任ある身分」とする制度を構築しました。

これが「大化の改新」の翌年制定された「公地公民制」です。

 

この「公地公民制」によって何が変わるかというと奴婢(ぬひ)と呼ばれる奴隷階層を無くし豪族や権力者が私有民を持つ事を許さなくなったんですね。

 

 

この律令政治による奴隷制度の撤廃は世界的にも大きな出来事なんです。

西欧・中国では貴族が自分の召使いを殺害しようが、領主が領民の妻や娘を攫おうが、家畜やモノといった扱いを受けていた為に咎められる事の無い時代が18世紀まで続いたとされています。

日本は7世紀時点で、「支配と隷属」ではなく「役割と秩序」の上下関係である「シラス統治」を行ったのです。

※「シラス」とは「知らす」の事で、情報の共有化を図り問題意識をも共有する事でより良い国を築くという考えです。

 

 

天智天皇は御製でもこのように詠っております。

 

『 ~ 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ ~ 』

 

現代語訳では、

「秋の田んぼの脇にある仮小屋の屋根の苫の目が粗いので、衣の袖が露に濡れてしまったよ」と書いております。

 

この歌にも真意があり、天智天皇の袖が濡れたのは朝早くか夜遅くに自身や家族の為にゴザを編んでいた事を表します。

国の最高権威である天皇でも早朝から深夜まで働いているとなれば、臣民の皆も働かずに文句を言っているわけにはいかないですよね。

「上に立つ者から率先して働く」「上に立つ者は常に民と共にある」という意味をもつこの歌は「君民一体」を表現しているとされているそうです。

 

今は多くの国が貧富の差はあれど奴隷制度は無くなった時代となりました。

しかし今に行き着くまでの過程に於いて、「おおみたから」として積み重ねてきた歴史は決して無駄ではないと示していける、そんな日本文化でありたいですね。